アスワス・ダモダラン教授は、この結果から3つのインプリケーションを引き出している:
- 黒字だからといって成功したというのに十分なわけではない。
- 企業統治は必要。企業が超過リターンを本当に上げているか、第3者からの検証が必要。
- 企業は肥えた子牛ではない。政治家やESGなど「道徳家たち」は企業をお財布代わりに扱っている。
従前から偽善的主張に対する不快感を表明し続けているダモダラン教授は、3つ目の点について次のように書いている。
両方のグループ(政治家と道徳家)は暗黙のうちに、企業が少なくとも全体として莫大な利益を上げており、儲けの一部を他のステークホルダーのために分け与える(1つ目のグループなら売値の引き下げ、2つ目のグループなら社会保障政策の推進)ことが可能と仮定しているようだ。
この仮定は一部企業には当てはまるだろうが、ほとんどの企業では何十年もの間利益を得るのが困難になってきており、事業創出のために調達した資本のコストをカバーするのに十分な儲けを得るのはさらに遠のいている。
そうした伸びきった企業に対し、世界をよくするためにもっとお金を使えと願うのは、プレッシャーの下で力尽きてしまう確率を高めるだけだろう。
ダモダラン教授は、見ていていやになるほど数字に強い。
この観察が完全な見当違いである確率はかなり低いだろう。
そこで2つ大きな疑問が沸く。
- 米国をはじめ多くの国では、前世紀終わり頃から労働分配率が低下し、資本が厚遇されてきたように見えるが、それと矛盾しないか。
- 仮に7割ほどの企業が資本コストを稼げていないのなら、近年の株高はなぜ起こりえたのか。
ただし、これも必ずしも数学的な矛盾を示すものではない。
すぐに思いつく仮説を挙げるだけでも
- 勝者総取りの社会・市場となり、リターンや株価上昇が一部企業に偏在する傾向がある。
- 市場の要求する資本コストが本来要求すべき水準より低いために株価が上昇しうる。
(ダモダラン教授によるリスクプレミアム計算は債券デフォルト確率に基づく積み上げ法であるため。)
これが正しく、さらに修正する場合、株価は調整する。
仮にこうした推測に当たっているところがある場合、そのインプリケーションはこうなる:
奉加帳を持っていくべき先は、超過リターンを上げているような大儲け企業に限るべき。
一部すでに実現しているとは思うが、新自由主義を捨てられない社会では徹底しにくい考え方だろう。