アスワス・ダモダラン教授のMOI Globalのインタビュー第3弾: ポジション・トークに騙されるな。
すべての投資は、ストーリーを語るところから始まる。
問題は、それが合理的なストーリーの範囲か、それともストーリーのためのストーリーかだ。
ダモダラン教授の暴露は続く。
教授は、ベンチャー企業(VB)・ベンチャーキャピタル(VC)・公開市場の一部界隈の現実を淡々と語っている。
対象企業についてバラ色のストーリーを語れば、そのストーリーに基づく株価は高く値付けできる。
問題は、本当に企業の現実がバラ色になるかだ。
ダモダラン教授は、実現不可能なストーリーを語る経営者を批判する。
「(実現可能な)範囲に収まらないストーリーを語るのが問題なのは、その実現をしなければいけなくなることだ。
その過程で、本当に良い事業となるはずだったものを破壊してしまうかもしれない。」
ダモダラン教授は、大きなストーリーを語りたいがために語るのではなく、小さなストーリーを語り、実現し、次々と積み上げることが重要と話す。
小さなストーリーを実現していくうちに、大きな実現可能なストーリーが生まれるチャンスもあるという。
しかし、社会の流行りは逆を向いている。
「特に過去10年シリコンバレーの若い企業での問題の1つは、ストーリーのクラスで、創業者たちが大きなストーリーの語り方を習っていることだ。
ストーリーが大きいほど会社の価格が高くなるためだ。」
実現不可能なストーリーを語り、実現不可能な約束を投資家にするのは経営者だけではない。
そうしたVBに早いうちに投資するVCにも言えることだ。
ダモダラン教授は、経営者もVCも大きなストーリーで高い価格を得て、それを後から来る投資家に押し付けているという。
しかも、教授はその状態を冷静に達観している。
「VCのやっていることが問題とは言わない。
それがVCの成功の定義なのだから。
VC(の成功)は、それが築いた事業の質ではなく、その取引でいくら稼いだかだ。
いい時に入っていい時に出れば、VCとしてはヒーローだ。
Exitした後に(その企業が)壊滅したとして、問題なのか?
VCの責任じゃない。
VCは、思われているとおりのことをしただけだ。・・・
公開市場の投資家を守るのはVCの仕事ではない。」
ダモダラン教授の発言は、投資にかかわる法や規則を忠実に解釈したものであり誤りではないだろう。
しかし、公開市場には様々な投資家がいるのも事実だから、道義的責任を思い浮かべ、この発言に不快感を覚える人もいるのではないか。
なぜ、ダモダラン教授はこうも杓子定規な話をしたのか。
それは「投資家を守る」責任を誰が負うべきかについての信念によるものだ。
そうするのは自分自身の仕事だ。・・・
みんなアウトソースをやめないといけない。
他の人の誤りを責めるのをやめ、自分自身の行動の責任を取るようにしないといけない。
投資にかかわる企業や個人のほぼすべては、自身の利益や保身のために仕事をしている。
それを理解した上で、彼らの言葉の背景を知り、騙されないようにしよう。
騙されても、あくまで自己責任だ、と言いたいのだろう。
自らに厳しい責任を問う投資家としての意見である。
ダモダラン教授はこうも語っている:
投資における最大の敵は・・・自分自身だ。
私たちに備わった自己欺瞞の能力は大きく、なくならない。
アドバイスしたいのは、自分にうそをつかない、言い訳をしない、投資でうまく行かないことを他人のせいにしない。
問題なのは、何かあるとFRBやヘッジファンドのせいにする風潮で、そうじゃなく自分のせいなんだ。
すばらしい見識であり《先生》と呼ぶにふさわしい人物だ。
是非、自分も実践したい。
でも、へこんでいる時に一緒に飲みに行きたくはないかもしれない。