アスワス・ダモダラン教授のMOI Globalのインタビュー第5弾: 経営の質とESG。
ここからはダモダラン教授の十八番、毒舌で楽しんでいただこう。
経営の質について価値評価にどのように組み込むか尋ねられて、ダモダラン教授は答えた:
数字だよ。
数字に表れていなければ、仕事をしていないということだ。
経営が優れているなら、結果が出るはずとの考えだ。
ダモダラン教授は決して甘えを許さない。
「あなたが経営の質の話をするということは、損を続けているということ。・・・
優れた経営の話をするなら、どこが優れているのかを示すべきだ。
どの数字に表れているか。」
証拠もなく優れていると主張するな、と言いたいのだ。
矛先は、投資先の経営の質を重視してきたウォーレン・バフェット氏にも向かう。
「経営の質というのは、単なる流行りのバズワードの1つにすぎず、これもオマハの賢人の責任だ。」
企業には長期的ビジョンや忍耐も必要との考えに対しても、ぴしゃりと言い返す。
「私たちは(長期)ビジョンの実現をどれだけ長い間待つべきなのか。・・・
ケインジアンの言葉『長期ならみんな死んでいる』を思い出す。」
ダモダラン教授は、経営者たちの勘違いを批判し、これまでも度々語ってきた最高の侮蔑を浴びせている。
平均的な経営陣がとても平均的であることを認めないといけない。
賭けてもいい。
ほとんど会社では、ロボットをたくさん買って経営陣と入れ替えてもほとんど業績は変わらない。
ダモダラン教授は、経営者たちがみんな自分を過大評価していると話す。
自分たちを質の高い経営陣と思っていない経営陣に会ったことがないと自身の経験談を話した。
その上で、世界中の無数の企業のデータを分析してきた成果を明かす。
世界の経営陣の2/3は価値を破壊している。
45,000社のうち30,000社で、彼らは出社すると価値を与えるのでなく破壊している。
インタビュワーが、価値の創造が難しい企業もあるのではと問うと、そこでも正論中の正論を語っている。
悪い事業分野にあって、価値創造が本当に難しい場合、思慮ある行動とは縮小する、あるいは少なくとも成長しないことだ。
企業に成長機会があるなら、どんどん投資して大きくなればよい。
それこそ投資家が企業に求めるファースト・チョイスだ。
しかし、それが出来ないなら、企業を縮小することだ。
そして、預かってきた経営資源、とりわけ金銭を投資家に還元することだ。
ダモダラン教授の毒舌は、いったんブームになってすぐに尻つぼみになったESGにも及ぶ。
「ESGはビジネス史においてもっとも過大に宣伝され売られた概念だ。・・・
理由は、たくさんの人がお金を稼ぐためだ。
彼らには投資家も会社の従業員もいない。
儲けたのはコンサルタントや運用会社のアドバイザーたちだ。」
ESGという美名を金儲けの手段にする輩を強く批判している。
さらに矛先は政治、そして市民自身に向かう。
「みんな企業が社会にとってよいことをするのを願っている。・・・
それこそ立法府が法律を作る理由だ。
ESGは、みんなによる、消費者による完全な責任放棄だ。」
ダモダラン教授は従前から、特に環境問題について個々人がマイカーやエアコンをやめるなど不便を受け入れない限り解決しないと主張してきた。
ESGを人一倍推進しようとしたリッチな人たち(高官、事業会社、投資会社、その経営者)に限って、真逆のことをしている。
こうした欺瞞に対する教授の怒りは収まらない。
私たちは、自分がやるのは不便だからと考え、代わりに会社にやらせようとしているんだ。
政治家は規制する法を定め社会的コストを予防すべきなのに、彼らは怠慢または能力がなく、会社に自発的にやらせようとしている。
これじゃ何も良いことは生まれない。