次に後段の市場予想。
マークス氏は、しばしば将来を正しく予想した人が投資リターンを取り逃し、誤った人が儲かることがあると指摘した。
その一因として「過去40年の年次変化の標準偏差」:
- GDP: 1.8%
- 企業利益: 9.4%
- S&P 500: 13.1%
を示しつつ、心理・感情の影響で市場の変動率が大きくなる点を挙げた。
マークス氏は、こうした現実があるのに、金融科学(経済学・財政学)がしばしば経済・市場を「ホモ・エコノミクス: 自己の財務的利益を最大化するように合理的意思決定する者」の集まりと仮定している点を批判する。
マークス氏の批判は決して政治家や経済学者だけに向けられているわけではない。
矛先は身内である投資家や実業家のコミュニティにも向いている。
「人が裕福になると、他の人はそれを、彼らが賢いことを意味すると捉える。
投資家が成功するとしばしば、彼らの知性が他の分野にも同様によい結果をもたらしうると考えられる。
さらに、成功した投資家はしばしば自身の知性の強さを信じるようになり、投資と関係のない分野でも主張をするようになる。
しかし、投資家の成功とは特別な才能というより、ラッキーの連続や都合のいい環境の結果であることもある。
知的であろうがあるまいが、投資以外の事柄についてほとんどの人たちより多くは知っていないことが多い。」
確かに米国では、投資家や投資会社、実業家らが畑違いの分野で発言することが多い。
彼らはお金を持っているから、その分その発言に影響力がともなってしまうことも多かろう。
マークス氏は投資家コミュニティに対し、知的謙虚さを忘れてはいけないと意見しているのだ。
Memoには戒めの言葉が多く並んでいる。
「おそらく250年前にヴォルテールが最もうまく表現している:
『疑念は心地よい状態ではないが、確信はばかげている。』」
「誰もこうした分野が将来どうなっているか予見できないが、それにもかかわらず多くの人が自身の能力を過大評価し、予見しようとしている。
確信を避ければ問題は回避できる。
私はそれを強く奨める。」
「何か言えることがあるとすれば、それは私の結論を再強化する:
予想することは多くの場合、敗者のゲームとなる。」
大統領選しかり、政策しかり、相場しかり、ということだろう。