IMFチーフエコノミスト、インド中銀総裁を歴任したラグラム・ラジャン シカゴ大学教授が、先進各国の金融政策の副作用、今後のあり方についてコメントしている。
「広く知られるとおり、金融政策は鈍器だ。」
ラジャン教授がProject Syndicateのインタビューで語った。
金融政策は対象を絞った運用に限界がある。
結果、マクロ経済全体に影響を及ぼし、予期せぬ副作用が発生する。
教授は、過剰なリスクテイクやクロスボーダーの資金フローを例示し、政策が転換されると巻き戻しの苦痛が発生しうると指摘している。
ラジャン教授は、各国中央銀行が金融安定化を目的とした委員会を設置すべきと主張している。
そこでは、ノンバンクの規制や「金融冒険主義」の抑止が図られるべきとした。
FRBが金融安定化に無関心というわけではなかろうが、彼らの意識が強くデュアルマンデート(物価と雇用)にあるのも事実だ。
金融安定化は一義的には政府の役割という建前だからこうなる。
一方、日本はバブル崩壊時の反省から、日銀が強く金融安定化を意識する政策運営をしていると言われる。
皮肉なのは、金融安定化を意識しているはずの日銀が、金融安定化を揺るがす危険を秘めた政策を最も長く深く続けている点だろう。
米国が政策金利を5%上昇させた間、日本はゼロ金利解除さえできない。
極端な金融緩和は日本の経済・市場にビルトインされてしまい、容易には戻れないのだ。
ラジャン教授は、先進各国で分断が進み、ポピュリストが台頭し、マクロ政策が極端になっている点を新興国の立ち位置から心配する。
先進国の政策の規律が下がることが、新興国に悪影響を及ぼす可能性があり、問題を回避するための自衛策を新興国は取らざるをえないのだという。
主たるものが、問題に対処するための外貨準備等バッファーの積み増しであり、それが新興国の国内政策を制限してしまうという。
インド中銀総裁時代、政府からのポピュリスト的要求をはねつけ、憎まれもし、高い称賛も受けたラジャン教授は、金融政策についての信念を語っている。
私は、高インフレに対し有効な、伝統的インフレ目標の枠組みに戻ることに賛成だ。
低インフレがデフレを加速させるようにならない限り、私は、目標を下回ることをたいして心配しない。
デフレ退治が重要だったのが過去10-15年であり、それが悪用されたのもその間だった。
そもそもデフレの定義さえ共有されないまま「デフレ退治」のために拡張的政策がとられていたのは否めない。
(日本では、デフレ=何かが悪いこと、といった酷い定義さえ存在するようだ。)
国際社会で言うように、デフレを《一定期間物価が小さくない幅で下がること》と定義するなら、日本でデフレはほとんどなかったことになる。
あるいは、デフレを《GDPギャップがマイナス》と定義するなら、そうした期間は長く存在したが、GDPギャップのマイナスに非伝統的政策継続まで持ち出すか、という疑問が残る。
低インフレを恐れる姿勢には、もっともなところもないわけではないが、やはりその真意を注意深く見るべきだ。
10年以上前、異次元緩和が2年で2%の物価目標を掲げてスタートした時、ほとんどの民間エコノミストは2%を無理な目標と指摘し、目標を1%とするよう提案する声が多かった。
戦争等々のまさに非常事態によって、2%目標は見事に達成されたが、今度はそれに優越する目標として賃金を掲げだした。
ならば何で異次元緩和を始めた時に、実質賃金を最重要の目標として提示しなかったのか。
当時すでに、物価を上昇させれば実質賃金が下押しされることは予想されていたはずだ。
ラジャン教授の意見は正論だろう。
しかし、そうした意見が実現されると楽観はできまい。
今後も、政策決定者たちは可能な限り拡張的政策に邁進するだろう。
庶民ができるのは、日本から重心を移すこと。
お金だけなら、居場所を移すのはそう難しくない。
すでに大きく円安が進んでも投資家の海外投資への熱意が冷めない一因はそうしたところにあるのではないか。