新型NISAのスタートもあり、今年は改めて日本人の金融リテラシーが話題に上った年だった。
その年も師走を迎え、リテラシーの高い人はいろいろ考えるところもあろう。
ここでは金融リテラシーに加え、米チャールズシュワブによる顧客向けの「Financial Decoder」ポッドキャストの今年最後の号に触れてみたい。
日本人の金融リテラシーが低い理由はなんだろう。
3つ大きな理由があったように思う。
30年前までは預金金利が規制されていた
1993年の預金金利自由化まで、日本では市民に労働に専念させる金融環境が存在した。
(今も残っているが)据え置き1年、預け入れ期間3年までの定期預金、いわゆる期日指定定期預金というバケモノのような商品があったのだ。
普通預金と1年以降の金利には(筆者の記憶では)2.5%ぐらい、あるいはそれ以上の差があり、毎月お上によって決められていた。
さらに長期側には金融債や信託商品があり、まだ経済成長が有意だった時代、ほとんど確定利回りに近い商品にしては相当によい利回り、順イールドが提供されていた。
労働者は労働に専念し、余資はもっぱら預金にすればよかったのだ。
株式にはいかがわしいイメージが付きまとい、実際、大手証券会社まで《飛ばし》と呼ばれる手法等で顧客を食い物にしていた。
無垢の市民がそんな世界に手を出す必要はなかったのだ。
そんな時代、日本人の金融リテラシーが育つわけもなかった。
1990年までのバブル期では、リテラシーのない市民がリスク資産に殺到し、セルサイドは(知ってか知らずか)それを煽ったのである。
バブル崩壊後にバブルを分析し対処法を提案した高名なエコノミストやストラテジストらの多くは、少し前まではバブルを後押ししていた始末。
これでは投資の初心者は誰を先生として学べばよいかわからない。
失われた10年でも状況は変わらず
労働者が労働に専念する状況はバブル崩壊後の1990年代も変わらなかった。
まず、リスク資産が急落し、しかもだらだら下げたから、リスク資産に手を出す人は少なかった。
結果論で言っても、この時期にリスク資産に投資していたら、なかなかいい結果は上がらなかった。
この10年は金利低下の10年でもあった。
資産デフレ、円高、消費者物価のデフレ、金利低下が日本を襲ったのだ。
以前から長期固定の債券を持っていた人を除けば、低リスク資産は投資する意義を失っていた。
現金、または超低金利の預金・債券を持つしかない時代であり、何を選んでも大した違いはなかった。
結果論で言っても、現預金で正解の時代だった。
デフレなら現預金や国債が有利だからだ。
労働者は引き続き労働に専念することになった。
バブル崩壊までと異なるのは、職を守るために専念せざるを得なかったという点だ。
公的資金とITバブル
大きな変化が訪れたのが2000年前後だ。
何度かにわたり銀行への公的資金注入が行われ、金融仲介機能の不全が取り払われた。
さらに、ITバブルによる高すぎる株価は、同バブル崩壊とともに消滅する。
この時代に株式や不動産への投資を始めた人は、かなり楽に良い結果を手にしたはずだ。
一方、金融リテラシーの方は手つかずに近かったと言わざるをえない。
そもそも市民の側がそれを望んでいなかった。
過去10年過酷な資産デフレに苦しんできた市民は、なかなかリスク資産に戻れなかった。
資産デフレに苦しみディスインフレに救われる
金融の世界では、大暴落があると次にバブルが来るまでひと世代を要すると話される。
暴落とその後の苦しみは人々の心に残り続け、ひと世代経って登場人物が入れ替わるまでくすぶり続けるというもの。
これがいわゆるデフレ・マインド、デフレ期待を生み、期待が現実を引き寄せたこともあり、ディスインフレの時代が続くことになった。
皮肉なことだが、この時期市民の助けになったものの1つがディスインフレだった。
労働者が職を失ったり、賃金が頭打ち・減少する中、ディスインフレは家計の味方となった。
これには、伝統的な日本企業の価格競争好きも関係している。
製品・サービスの内容でなく、価格で競争をしたがる。
そのために社員や仕入先への払いを抑えたがる。
人減らしするのも最低限に抑えたい。
さらに値下げで競争しようとすれば(賃率、労働時間、または雇用形態のミックスで)名目賃金を下げざるを得ない。
(悲しいことだが、日本での生産性上昇には、いい給料をもらっていた従業員が職を失う面があった。)
こういう循環の時にインフレとなれば、実質賃金はマイナスに沈むだけだ。
ディスインフレは決してよいことではなかろうが、インフレだったらもっと悲惨なことになっていただろうことは最近の状況が教えてくれている。
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