アスワス・ダモダラン ニューヨーク大学教授が、プロの行うDCFの真実について暴露している。
バリュエーションと言われているものの95%はまだ株価倍率に過ぎない。
DCF評価とされているものも、多くは私が『カブキDCF』と呼んでいるものだ。
ダモダラン教授がMOI Globalのインタビューで、世間がバリュエーションと呼ぶもののレベルの低さを暴露している。
「カブキ」という言葉を使われるのは心外だが、米国ではこの言葉にあるイメージが付いている。
歌舞伎が見せ方を重視する芸能であることから付いたイメージだ。
米政治におけるKabukiとはスタンドプレー、ポーズ、結末の決まった猿芝居といったニュアンスを持っている。
ダモダラン教授が「カブキDCF」と呼ぶものの定義は:
「まず、例えばPER 15倍と置いて価格を決め、それでは知的でないように見えるので、見せかけのDCF評価を行い、深い考えによるもののように見せる。・・・
私は、不誠実なDCFをやるぐらいなら、株価倍率や類似企業比較を用いて、正直に値付けする方がよいと言ってきた。
(投資)銀行によるDCFはすべて時間の無駄だ。」
ダモダラン教授は以前から、価値評価と価格の値付けは異なるものと言ってきた。
価値評価はDCFのような手法でなされ、値付けは(価値とは別に)価格を付ける営みだ。
教授はどうやら金融機関に価値評価を期待してはいないようだ。
筆者は投資銀行でM&Aアドバイザリー業務をやってきたので、教授の暴露はかなり正しいと認めざるをえない。
(ただし、教授が意図したのは、M&Aではなく株式売買の部門だろう。)
投資銀行がM&Aのために価値評価をしフェアネスオピニオンを出す場合、株価について主に3つの計算を行う:
- 過去の一定期間またはある時点での市場株価
- 類似企業比較(企業価値倍率、株価倍率)
- DCF
ダモダラン教授流に言えば、前の2つが値付けの話であり、最後が価値の話だ。
問題は最後の価値の話、DCFで何が行われるかだ。
ほとんどすべてのケースで、DCFでは、ゴーイングコンサーン(企業が継続すること)を前提として、キャッシュフローを予想し、それを割り引く。
ところが、無限の将来までそれをやることはできない。
そこで、例えば5年後、7年後ぐらいまで実行し、残りの部分はターミナルバリューとして一括で計算することになる。
そして、DCFの結果がこのターミナルバリューに大きく依存するのは周知の事実だ。
ターミナルバリューの計算には2法がある:
- 類似企業比較
- パーペチュイティ(無限級数による計算)
先に、類似企業比較は価値ではなく値付けの話だと話した。
だから、これを採用すれば、DCFもまた大部分が価値の話ではなくなってしまう。
では、パーペチュイティを使うのかといえば、それにも問題がある。
世間には私たちが考える以上に楽観が溢れており、何らか妥当と思える成長率を仮定し無限級数を計算すると、結果が高すぎることが多いのだ。
もちろん3法のうちの1つだから、3つ並べて何らかの平均を取ればよい。
しかし、最も重要であるはずの価値を計算するDCFが大きく突出する場合は少々問題だ。
市場株価に疑義が呈され、3法すべてへの疑義になってしまうかもしれない。
買い手からすれば、大盤振る舞いをする言い訳に使われるし、売り手からすれば株価が安すぎるとの言い訳になる。
そこで、投資銀行家は善意から当然の分析を行う。
効率的期待仮説を信じ、実際の株価に敬意を払う。
パーペチュイティと実際の株価を見比べ、パーペチュイティ計算に用いた成長率などの変数の妥当性を検証する。
より妥当な変数でパーペチュイティを計算し直す。
こうする限り、パーペチュイティは現実の株価に擦り寄っていく。
これは実に妥当な検証である。
しかし、同時に価値を値付けに寄せる効果がある。
「カブキDCF」と言われてもしかたがないかもしれない。
その意味で、ダモダラン教授の「銀行によるDCFはすべて時間の無駄」との指摘は妥当と言えるのだろう。