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愚かな財政でドルの価値蒸発の瀬戸際に:ウォーレン・バフェット

ウォーレン・バフェット氏による2024年度バークシャー・ハザウェイ株主宛て書簡の第3弾: 貯蓄の重要性とお金の行き先について。


何人かのコメンテーターの中に、バークシャーの現金ポジションが異常だと見る人がいるが、株主のお金の大多数は今も株式に投資されている。
この選好は変わらない。
昨年、市場性のある株式の持分は3,540億ドルから2,720億ドルに低下したが、上場していない子会社株式の価値はいくぶん増え、市場性のある投資のポートフォリオ価値をはるかに上回っている。
バークシャー株主は、わが社が資金の大多数を永遠に株式 – ほとんどは株式だが重要な国際業務にも – に投資することに安心してよい。
バークシャーは、支配権があるか部分所有かにかかわらず良い企業の所有権よりも現金等価資産の保有を選好することは決してない。

バフェット氏は、バークシャーが積み上げるキャッシュの山に対する心配を払拭しようと書いている。

しかし、これで安心する投資家が何人いるだろう。
投資家が心配しているのは、バークシャーがMMFになることではない。
誰もそんなことは心配していない。
皆が心配しているのは、バフェット氏が弱気相場の到来を予想して現金持ち高を積み上げているのではないかということだろう。
残念だが、バフェット氏の回答は論点がずれてしまっている。

この一方で、バフェット氏は、自社の現金ポジションを擁護するかのように、貯蓄と再投資の重要性を主張している。
米国の繁栄・経済成長が貯蓄によってもたらされたとし、それをバークシャーについても当てはめている。

「とても小さな意味で、バークシャー株主は、配当を見送り消費より再投資を選ぶことで米国の奇跡に参加してきた。
そもそもはこうした再投資は小さくほとんど意味のあるものではないが、時間が経つにつれ成長し長期複利の魔法とともに持続的な貯蓄文化を映すものになる。」

バフェット氏はバークシャー買収後1度だけ配当を払ったことがある。
1967年の1株10セント。総額101,755ドルの配当支払いだ。
「悪い夢」だったとし、今では理由も思い出せないと書いている。

貯蓄と再投資を賛美する一方、現金や債券をディスるような意見も述べている。
貯蓄の最終目的地は現金や債券ではないと言いたいのだ。

「愚かな財政が蔓延すれば、紙幣の価値は蒸発してしまう。
いくつかの国ではこの見境のない行為が習慣化し、最近の米国も瀬戸際に近づいている。
固定金利債券は通貨急落に対し無防備だ。」

バフェット氏は、米国ほかで顕著となる財政ポピュリズム、それが引き起こす貨幣の価値低下について強い懸念を抱いているのだ。
そして、そのリスクへの対処法は投資だけではないと説いている。

「企業は、望ましい才能のある人材と同様、その財・サービスが国民から望まれる限り、通常貨幣の不安定に対処する道を見出せるものだ。
人の能力も同じ。
そのための身体能力、美声、医学・法学スキル、特殊能力がなかったから、私は人生を通して株式に依存してきた。
実質的に私は米企業の成功に依存してきたのであり、それを続けようと思う。」

バフェット氏はこれまでも度々、特に若者に対して、リスクへの備えは個々人の人的資本によるべきと諭してきている。

バフェット氏は、バークシャーが支払う莫大な税金を踏まえ、税金の目的地についても注文を付ける。

いつかバークシャーの人たちに、バークシャーが2024年に払ったより大きな額を贈ってくれると願っている。
自分のせいでなく貧乏くじを引いた多くの人たちの面倒を見てほしい。
そして忘れないでほしい。
私たちは安定した貨幣の維持を必要としており、それには政府の側の英知と警戒の両方が必要になるのだ。

政府や社会を養う側の人は、こんなことを考えている。
自分がもらうことばかり主張する人たちとは全然違う発想なのである。


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