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TINA、FOMOからYOLOへ
2024年2月29日

12月のコラムで、相場はまだ上がるかもしれないし下がるかもしれないと書いた。(2/29 浜町SCI)
その後相場が上昇を続けてもそれはかわらない。
ただ、状況は少しバブル側に近づいたようにも感じられる。


弊社サイトで2010年代半ばまで安定的に集客していたページがある。

2008年の金融危機の軌跡


今では見る人もほとんどいないが、かつては人気のコンテンツだった。
とういうのも、世界的に強気相場が長く続く中で、読者の不安が募っていたのだ。
サブプライム/リーマン危機を生んだ原因の1つはドットコム・バブル崩壊後の金融緩和だ。
リーマン危機後には、ドットコム・バブル後とは比べ物にならないほど強力な金融緩和が行われた。
これを心配するのは決しておかしなことではなかった。

サブプライム/リーマン危機の前と後を見返すと、前半部分がゆっくりだったのがよくわかる。
まさに《梯子で昇ってエレベーターで降りる》である。
はじめはとてもマイナーなところで《事故》が起こっている。
いくつか事故が起こっても、みんな心配はしなかった。

米国で早いうちに住宅バブルを警告したのは、後にインド中銀の総裁を務めたラグラム・ラジャン教授だ。
当時IMFチーフエコノミストだった教授は、2005年のジャクソンホールで金融危機の発生を警告した。
サブプライム問題が表面化するのが2007年だから、早すぎず遅すぎず実にタイムリーな警告だった。
他のエコノミスト、たとえば、ローレンス・サマーズ氏らが、米経済に過剰は見られないと太鼓判を押していた時期だ。

2007年の日本を思い出せば、年初までみんな株高に酔いしれていた。
待ち構える危機は、日本に震源地のない危機だった。
米国株市場でもなく、一般の日本人からは遠い米国の住宅バブルであり、しかもシャドウバンクというオブラートまでかかっていた。
日本人から見て、バブルなんて何も感じられなかった。
PERはバブルとは程遠い水準だった。

ところが、米住宅バブルが弾けると、日本株は瞬間的に超割高になった。
輸出関連を中心として、企業が受注高に計上していた受注が消滅した(取引上、応じざるをえないキャンセルを食った)。
つじつまを合わせるために、一部統計では新規受注がゼロと計上され、市場のEPSは水面下に沈んだ。
EPSがマイナスになれば、PERを議論する意味などなくなる。

(次ページ: 現実は想像力を超えてくる)


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